自分の価値観や感情はどうやって社会においても保たれるのか?

前回のコラムで私は、感情や価値観は相対的ではなく絶対的であるべきだ、と述べました。

しかしながら相対主義と絶対主義の対立、および絶対主義の他者への押しつけによる問題こそが、21世紀における多様性の難しさなのではないかと思います。

現在では、さまざまな考え方やアイデンティティーに対する理解が深まり、以前より多様な考え方がより認められやすくなってきています。おかげで、個人の感情や価値観、アイデンティティーを大切にしやすい時代になりました。しかし、一方では、異なった考え方やアイデンティティーが交わる社会においては、絶対主義の押しつけがボトルネックになりやすく、相対主義の観点を持ち合わせることの大切さが問われます。例えば、自分が持つ考え方やアイデンティティーと異なる考えを持つ人、またはそのアイデンティティーを理解できないような人に攻撃的になり、ただ自分の考えを押しつけようとする人も中には存在しますが、「自分の考え方は絶対的であり、違う考え方を持っている人は間違っている」

このようなイデオロギー(社会のあり方などに対する考え方や根底にある信条)は、本当に正しいのでしょうか?ある種、大切にしなければならない価値観の絶対主義を他者に押しつけることで、争いや衝突が生じ、結果多様性に嫌気がさし、否定的になるような反動を生じさせてしまうことがあります。現在社会に少しだけ存在する”Diversity fatigue”が一つの例だと思います。多様なあり方を尊敬し合える社会は理想的だと思いますが『受け入れられる』社会作りには段階が必要のように思います。しかし、主張ばかり強くなってしまい、本質的な個人の価値観が尊重されにくくなってしまっているのではないでしょうか。たとえば、前回のアメリカの大統領選挙の時、私のアメリカ人の友人が「私はトランプ大統領の言動を尊敬しているわけではないが、彼の政策には共感できる部分があったし、私は共和党を応援したかった。でも自分の周りはポリティカルコレクトネスに敏感でアンチトランプ派しかおらず、共和党を応援したいとはとても言えなかった。共和党=トランプサポーターであり、現在の社会問題を気にしないというマイクロアグレッションが生じてしまうのが怖いんだ」と語っていました。このように、社会による同調圧力が個人の絶対的な価値観に介入することで、個人の意見を他者に曝け出せなくなる、自分らしさを失いかねない同調圧力のようなリスク、ポリティカルコレクトネスが生じてしまいます。

とはいえ、多様性という定義を覆し、社会に絶対的な一つの価値観を世界中の人々に押しつける場合、限りなく強い同調圧力が生じます。大義にとっての正解は少数の価値観を否定し、その心理に同感できない人は社会的マイノリティーとなり、社会から弾き出されてしまうことも懸念されます。また、行き過ぎた相対主義は全てのアイデンティティーや考え方が他の人にとってのただの『感想』になってしまい、物事の本質やイデオロギーを見つけにくくなってしまうでしょう。

では、この社会において、人と関わる際にはどのようなマインドセットを持つことが重要なのでしょうか?これはあくまで私の主観ですが、この問題において重要なのは、社会において、相対的観点の中から普遍性の高い共通点を見つけることであると考えています。例えばですが、『より良い社会を作る』という抽象的なゴールを掲げたとしても経済学や経営学、SDGsの観点からなどさまざまなアプローチ方法が存在します。考え方や思想に相違点はあれど、根本的な目的に共通項が存在する場合があります。さまざまな考え方やイデオロギーの根本的な部分には共通項が多く、価値観や考え方における背景やゴールを理解し、普遍性を見つけることで他者に対する理解が深まるのではないでしょうか。また、他者の考え方はどうしても表層的な部分しか見えにくいため、背景を理解しなければそれらはただの『感想』や『ブーム』となり、生じた溝は埋まりにくくなります。他者の考えに対する価値観を断定するのではなく、第三者の目線でものごとを考える姿勢を持つことで、より他者の考え方を尊重しつつ、自分の価値観を大切にできるのではないでしょうか。社会学には、インターセクショナリティという、人種や性別、性的指向、階級や国籍、障がいなどの枠組みが交差したときに起こる、差別や不利益を理解する枠組みを指す用語があります。一人ひとり違うアイデンティティーや属性があり、一つ共通する属性があるだけで全ての経験や価値観が同じというわけではありません。例えばですが、同じコミュニティに所属していたとしても、一人ひとりの価値観や境遇は異なります。同じ小学校に通っていたからといって、全員の得意科目と苦手科目が同じだったり、進学校でもない限り同じ学校に進学することはないでしょう。人は一人ひとり違う経験や価値観があり、その違いが交錯しながら人間関係は成り立ち社会は形成されています。自分の映る視点を画一化せず、インターセクショナリティの観点を使いながら他者と交わってみてほしいと思います。もしかしたら今まで見えていなかった新たな気づきがあるかもしれません。

Previous
Previous

IKIGAIモデルから考える新年の抱負

Next
Next

人の価値観や感情は相対的ではなく絶対的であるはずだ